世界遺産 富士~北斎・広重・大観他~平成26年2月27日(木)~6月3日(火)

展示解説
毎週日曜日・祝日の14:00~(約30分)
休館日
毎週水曜日

展

 富士は古くから信仰の山とされ、その荘厳な姿が和歌や絵画の主題として盛んに取り上げられるなど、日本独特の芸術文化を育んできました。江戸時代には登山と信仰が一体となった富士講が流行し、葛飾北斎の『冨嶽三十六景』に代表される浮世絵は、ゴッホら海外の芸術家にも多大な影響を及ぼしました。こうしたことから富士山は「信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録されています。
 光ミュージアム開館15周年の特別展では、北斎、広重、大観ら当館所蔵作品の中に富士をお楽しみいただき、「世界遺産」としての富士山の価値を再認識していただければ幸いと存じます。

出品目録

作品名 作家名 年代
沼津千本松原 池田遙邨 大正~昭和
富士
Mount Fuji
小川芋銭 大正11年頃
Taisho period, ca.1922
葛飾早春
Early Spring in Katsushika
鏑木清方  
朝霧
Morning Fog
西藤哲夫 昭和60年
Showa period, 1985
冬晴
Fine Winter Weather
竹内栖鳳 昭和10年頃
Showa period, ca.1935
風景
Landscape
中平南海  
富嶽神鐘 平福百穂 大正14年
Taisho period, 1925
三保之不二山
View of Mount Fuji from Miho
横山大観 昭和28年頃
Showa period, ca.1953
乾坤燿く
The Glory of Heaven and Earth
横山大観 昭和18年
Showa period, 1943
不盡山
Mount Fuji
横山大観 大正9年
Taisho period, 1920
不二霊峰
Sacred Mount Fuji
横山大観 昭和11年頃
Showa period, ca.1936
雲上不二のれん
Noren
芹沢銈介 昭和42年
Showa period, 1967
赤冨士のれん
Noren
芹沢銈介 昭和42年
Showa period, 1967
富士と雲のれん
Noren
芹沢銈介  
東海道五十三次(川崎・六郷渡舟)
Kawasaki, Rokugo Ferry From Fifty-three Stations of the Tokaido Highway
歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
東海道五十三次(箱根・湖水図) 歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
東海道五十三次(原・朝之富士)
Hara―Mount Fuji in the Morning From Fifty-three Stations of the Tokaido Highway
歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
東海道五十三次(吉原・左富士) 歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
東海道五十三次(由井・薩た嶺)
Yui, Satta Pass From Fifty-three Stations of the Tokaido Highway
歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
東海道五十三次(舞坂・今切真景)
Maisaka, View of Imagiri From Fifty-three Stations of the Tokaido Highway
歌川広重 江戸後期(天保4年頃)
Late Edo period, ca.1833
名所江戸百景(両ごく回向院元柳橋)
Ryogoku Ekoin and Moto-Yanagibashi Bridge From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
名所江戸百景(する賀てふ)
Suruga-cho From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
名所江戸百景(目黒新富士)
New Fuji, Meguro From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
名所江戸百景(深川萬年橋)
Mannen Bridge, Fukagawa From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
名所江戸百景(神田紺屋町)
Dyer's Quarter, Kanda From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
名所江戸百景(鉄炮洌稲荷橋湊神社)
Inari Bridge and Minato Shrine, Teppozu From One Hundred Famous Views in Edo
歌川広重 幕末(安政3~5年頃)
Late Edo period. ca.1856-58
冨嶽三十六景(凱風快晴)
South Wind, Clear Sky (Also Known as Red Fuji) From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(神奈川沖浪裏)
The Waves near Kanagawa (The Great Wave) From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(山下白雨)
Rainstorm Beneath the Summit From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(尾州不二見原)
View of Fuji from the Rice Fields in Owari From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(東都浅草本願寺)
Honganji Temple in Asakusa, Edo From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(甲州石班沢)
Kajikazawa in Kai Province From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(遠江山中)
Mount Fuji from the Mountains of Totoumi From Thirty-six Views of Mount Fuji
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831
冨嶽三十六景(甲州三坂水面)
Mount Fuji reflected in Lake Kawaguchi, seen from the Misaka Pass in Kai Province
葛飾北斎 江戸後期(天保2年頃)
Late Edo period, ca.1831

作品紹介

歌川広重東海道五十三次 (原・朝之富士)

朝焼けの富士に見守られながら旅をする母子と従者。野原に降り立つ番の鶴。原では、秀麗な富士の山頂から山裾までを眺めることができた。
 広重は富士の雄大さを表現するため、画面の枠を突き破って山頂を描いた。これは“コロンブスの卵”的発想で、広重以前には誰も行っていない大胆な試みであった。

歌川広重名所江戸百景 (する賀てふ)

真正面に富士山が見える駿河町の富士は、江戸の名物であった。駿河町は、富士山が駿河の国(静岡県)のものであることから付けられた町名である。丸に井と三が書かれたマークは、越後屋が三井氏の経営であったときのマークで、右側で切れ布太物を専門に、左側で絹布類を専門に売っていた。現在、右は三井の三と越後屋の越をとって三越となり、左は三井銀行になっている。左の大荷物を背負っていく者は越後屋の外売係で、注文の太物や絹布類を運んでゆくところであろう。

歌川広重名所江戸百景 (両ごく回向院元柳橋)

手前に大きく描かれた櫓は、春と秋の晴天の日に、10日間 回向院の境内で相撲が開催される時、両国橋の際に臨時に作られたもの。両国回向院は、将軍家綱の命で振袖火事と呼ばれる明暦の大火(1657年)の焼死者を埋め、無縁塚を築いて供養した寺。隅田川には帆掛船や屋形船、筏が行き交い、向こう岸に元柳橋や松平丹波守の下屋敷、そしてその奥にすがすがしい富士が見える。

横山大観不二霊峰

六曲一双の金屏風。左隻右寄りに雪を戴く富士、その手前に両隻に渡って松林が描かれている。大観は大正から昭和にかけて、しきりに富士を描いた。「富士を描くということは、富士にうつる自分の心を描くことだ。心とは、畢竟人格に他ならぬ。それはまた気品であり、気魄である。富士を描くということは、つまり己を描くことである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには理想を持って描かねばならぬ。私の富士もけっして名画とは思わぬがしかし、描くかぎり、全身全霊をうちこんで描いている」大観はこう述べている。

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