収蔵品「肉筆浮世絵」

こちらのページでは収蔵作品の中から「肉筆浮世絵」の作品をご紹介いたします。

収蔵作品は作品保護のため通年展示されているわけではございません。

葛飾北斎「日・龍・月」

葛飾北斎日・龍・月江戸後期(寛政12年~文化元年)

細長い画面にそれぞれ日、龍、月を描き、日を朱、月と龍を墨彩で表現した作品である。霞に映えて真紅に耀き昇る太陽、暗雲に見え隠れする龍、おぼろげなる三日月と左幅から右幅に流れていく画面展開。加えて幅の狭い画面ながら三幅対という形式を用いたことで、各幅の間に生まれる空間の広がりが、見る者を一枚の画面では構成することのできない、無限の宇宙世界へと誘い込む。ここには北斎ならではの見事に構築された世界が描かれている。「画狂人北斎」の落款に「辰政」(朱文円印)がそれぞれに捺されている。

宮川一笑「桜下美人」

宮川一笑桜下美人江戸中期

桜の咲き乱れる下で憩う振袖姿の女性は、垂髪に笄と櫛を一つづつさしている。白地に花文を散らした振抽から覗く赤のけだしと白い足が艶やかである。師匠長春譲りの伸びのある描線に丁寧な彩色が施され、一笑の特徴がよく示されているといえよう。

作者不詳(西村・石川派)「吉原仲之町春景」

作者不詳(西村・石川派)吉原仲之町春景江戸中期

新吉原の大門をくぐると、まず右側に七軒茶屋といわれる引手茶屋が軒を連ねる。図では小田原屋、桐屋の情景が描かれている。仲の町というのは、大門から水道尻といわれる廓の奥まで通じている仲の町通りのことである。この仲の町に毎年二月下旬ごろになると根付きのままの桜が移植された。開花の時期を三月一日と三日の紋日にあわせて客寄せの催しとしたものだという。天保年代の費用で百五十両掛かったといわれる。

作者不詳(西村・石川派)「桜下二美人に曳かれる布袋」

作者不詳(西村・石川派)桜下二美人に曳かれる布袋江戸中期

布袋和尚の名で親しまれる布袋は、中国四明山の僧で、腹が大きく、常に日常品一切が入った大きな袋と杖とを持っている。そして、いつも小児と遊び戯れ、飽きれば昏々と眠ったという。その円満な相によって、江戸時代に七福神の一神に数えられ、古くから好画題として描かれている。本図も戯画に近い作風で、布袋の親しみ深さがよく表現されている。

作者不詳「雪中傘さし美人」

作者不詳雪中傘さし美人年代不詳

高下駄を履き、雪の降り積もる橋を渡る美人。長い黒髪をお下げにし元祿袖の小袖を着たこの美人は、一般家庭の婦女子であろう。その顔立ちは師宣の作風に似ている。

吉原真龍「紅葉の下」

吉原真龍紅葉の下江戸後期

紅葉の色づいた回廊に出て憩う女性は誰だろうか。額に位星をつけているので、平安時代の歌人を当時の美人に見立てたと思われる。

春亭道人「水鏡」

春亭道人水鏡江戸後期

本作品は、夏の朝に子供を背負った母親が、朝顔の咲く庭先で手水鉢に顔を映して水鏡している図である。母親の容貌は晩年の喜多川歌麿風である。落款は「春亭道人」、印章は朱文方印の「籠□」と「泰山」を捺している。

二代鳥居清満「雪中傘さし美人」

二代鳥居清満雪中傘さし美人江戸後期(文化12年)~明治元年

雪の中を相合傘で行く二人の芸者を描いているが、その顔立ちは師 清長の作風というよりも、当時浮世絵界で勢力を伸ばしつつあった歌川派の画法に近い作風となっている。地味な小袖を重ね着した芸者の下着の派手な色あいが、図を華やかなものとしている。当時の実際の風俗を捉えたものであろうが、二人の対照的な配色は二代清満の工夫と考えられる。

作者不詳(菊川派)「雪中美人」

作者不詳(菊川派)雪中美人江戸後期

芸者か客を案内する仲居であろうか。雪の降る中、袖を傘がわりに「梅」の字が入った提灯で地面を照らしながら歩むポーズが艶かしい。筆力、彩色など十分技量を持った絵師の作品である。

宮川長春「追い羽根」

宮川長春追い羽根江戸中期(宝永~寛延頃)

追い羽根を楽しむ人々。追い羽根というのは、新春の神詣での際、厄除け祈願に羽根突きを行ったことに始まるとされる。それが正月の遊びとして行われるようになった。本図も遊びとしての追い羽根の様子である。

玄珠斎栄暁「遊女と禿」

玄珠斎栄暁遊女と禿江戸後期

遊女が扇や短冊に絵や和歌でも書こうとしているところへ禿が何か伝えにきたという場面である。妓楼からのお仕着せと思える打掛けは青地に紅葉、火焔太鼓、幔幕、笙などの模様、帯の図柄も鯉の滝登りをあしらった豪華なもので、禿も同じ地に菊の裾模様のある振り袖を着ている。打掛けには紋があり、簪にも妓楼を表す紋がついているので、特定の遊女を描いたものと思われる。

寿香亭吉信「鼓打つ女」

寿香亭吉信鼓打つ女江戸中期(宝暦頃)

やや左膝を上げ気味にして、鼓を打つ娘の姿態描写、室内の情景描写には、筆者の作画力の冴えが感じられる。

作者不詳(友禅染)「鉄仙花」

作者不詳(友禅染)鉄仙花

友禅染めだが絵画的要素の強い作品である。画面の周囲に見られる表具の一文字や中廻しも、画面と同時に染め上げたもの。だまし絵のような作者の作画意図が面白い。

作者不詳(友禅染)「牡丹と猫」

作者不詳(友禅染)牡丹と猫

古来牡丹は富貴の異名とされ、百花の王ともいわれる。そして獅子、松、薔薇、竹、蘭石、猫等と組み合わせた絵画が中国や日本で古くから描かれている。本図もこうした伝統を配慮した図柄の作品で、牡丹の葉に濃淡を染め分けた技法も、近代的な友禅染の表現法だといえる。

月岡雪斎「美人遊戯」

月岡雪斎美人遊戯

部屋着に打掛けのみをはおった遊女。禿はうまく出来た紙細工を遊女に自慢しているようである。簡単な遊びに興じる彼女たちから、一時の解放感が感じられる。
 遊女は髪に簪を数多くさし、櫛も二枚用いている。こうした風俗は、大坂の新町から起ったという。
 本図には「法橋月岡雪齋」の落款がある。雪齋は父についで法橋、後に法眼の位を取得している。法橋・法眼・法印とはもともと高位の僧官に与えられた僧位であった。藤原時代から仏師や絵仏師にも与えられるようになり、後には歌人、武士、儒者、医師にも及んだ。

白玉斎「男舞」

白玉斎男舞

水干を付けて烏帽子を被り、御幣を肩に舞う女性。扮装は白拍子の扮装であるが、振袖で裾を引く姿であることから、明らかに舞踊の一場面と考えられる。

葛飾北斎「予譲」

葛飾北斎予譲

予譲は中国の春秋時代、晋国の公卿知伯に仕えた忠臣である。この作品は予譲の最期の場面を描いているが、話とは異なり、放たれた矢に自ら胸を開いて死を迎える設定になっている。飛んでくる矢に開襟する予譲。北斎87歳の時の作品で、死の瞬間を覚悟した予譲の表情をあっさりと表現している。

東川堂里風「二世中村七三郎」

東堂里川風二世中村七三郎

二世中村七三郎は、初世七三郎の妻の甥中村明石清三郎の実子で、気品があり、初代七三郎の芸風を継承して和事と所作事を本領とした役者である。殊に曾我十郎の役は一生の内26回も勤めたという。図では、颯爽とした丹前風の野郎を演じている様子が見事に描かれている。

「遊女道中」歌川久信

歌川久信遊女道中

桜花咲く春、遊女道中の花魁を描いた作品である。遊女道中とは、遊女が遊郭で一定の日に盛装して廓内を練り歩くこと。上位の遊女(花魁)にしか出来なかった。花魁道中ともいう。花魁は何枚も重ね着して、龍をあしらった豪華な帯を前結びにしている。江戸・吉原の遊女は外八文字歩き、上方・島原の遊女は内八文字歩きをしたという。

「円窓の三美人」鳥園斎 栄深・島 君山

鳥園斎 栄深・島 君山円窓の三美人

円窓のなかに三人の美女が描かれている。一番右が日本の代表的な美人・小野小町、中央の唐美人は中国を代表する美人・楊貴妃、そして左の女性は作者・栄深が活躍した頃に美人として最も名の高かった扇屋の遊女花扇である。おそらく花扇が小野小町や楊貴妃に匹敵するほど美しかったことを称えるために描かれた作品であろう。

「桜下遊宴」作者不詳(初期肉筆浮世絵諸画人)

作者不詳(初期肉筆浮世絵諸画人)桜下遊宴

桜花の咲き乱れる下で緋毛氈を敷き、花見の宴を楽しむ人々。今も変わらぬ春行楽の一駒だが、こうした庶民風俗が描かれるようになるのは、近世になってからのことである。
 江戸時代、徳川幕府は庶民の贅沢を取り締まるために度々禁止令を発した。緋毛氈の周りに幕が張り巡らされているのは、陣地取りの意味もあったが、幕の内は俗世間の法令も効力のない空間と見なされ、どんな贅沢な衣裳も遊興も許される決まりだったからだ。

「桜下遊宴」作者不詳(初期肉筆浮世絵諸画人)

歌川広重月夜雁を聴く女天保12~安政5年

月夜に飛ぶ雁、その鳴き声を聴いてふと桟橋にたたずむ芸者。広重は素地である紙の白を利用した外隈という手法を用いて、月夜を簡潔に表現している。外隈とは表そうとする形像の外側を墨彩で囲み、描かれていない内側を見せる手法である。これによって秋の夜の風情が伝わってくる。

「桜下遊宴」作者不詳(初期肉筆浮世絵諸画人)

歌川広重浅間山大正4年~昭和4年頃

碓氷峠より浅間山を見た光景であろう。右にある山は鼻曲山である。浅間山は長野・群馬両県にそびえる標高2560mの活火山である。天武14(685)年に噴火の記録があり、以後30数回の活動が記録されている。とくに天明3(1783)年の大噴火は有名である。浮世絵では中仙道の軽井沢、沓掛、追分側から見た景観が風景画に描かれる場合が多い。

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