こちらのページでは収蔵作品の中から「日本画」の作品をご紹介いたします。
写楽の作品は、この絵を始め、役者の個性的容貌や役柄の性格を鋭く印象的に描いた初期の大判黒雲母摺の大首絵28図の評価が特に高い。
市川鰕蔵は5代目市川団十郎のことである。安永8(1779)年に「極上上吉」となり、息子の海老蔵に6代目を襲名させ、己は雑魚であるからと謙遜して鰕蔵と改め、「極上上大吉無類」の地位におかれた。
竹村定之進は、歌舞伎『恋女房染分手綱』で不義の罪を犯した娘・重の井の身代わりに、秘曲道成寺を主君に伝授して切腹する能役者の役である。裃姿であることから、場面は「道成寺の段」ではなく「訴訟の段」で、切腹前あるいは陰腹の定之進ではないかと考えられている。吊り上がった眉と見開いた目から鰕蔵の芸風がいきいきと伝わってくる。
現在、阿波藩お抱えの能役者 斎藤十郎兵衛が写楽ではないかとの説が最も有力であるが、能役者ならではの1枚と言える。
北斎が70歳を過ぎてから完成させた「冨嶽三十六景」は、北斎芸術の集大成ともいうべき作品で、そこには江戸や各地から眺めた富士を題材に、庶民の生業風俗が描かれている。三十六景というものの、追加出版された十景を含めた全46枚の揃物であり、当館ではその全てを所蔵している。
中でもこの『神奈川沖浪裏』はとくに有名。フランスの音楽家ドビュッシーを刺激して、交響詩『海』を作曲させたと言われている。
37歳の広重が手がけた「東海道五十三次」は、東海道の53の宿場に始点「日本橋」と終点「京師」を加えた55枚の揃物で、そこには“雪月花の画家”と言われる広重独特の、抒情的な風景画の世界が展開されている。当館ではその全作品を所蔵している。 中でも『庄野・白雨』は、激しい夕立に襲われた街道の様子が生き生きと描かれていて特に人気が高い。
「名所江戸百景」は、広重最晩年の作品で、彼の作品の中でも最大数を誇る119枚の揃物である。当館ではその全作品を所蔵している。斬新な構図と鮮やかな色彩が、“ジャポニズム”の代表としてゴッホやモネに影響を与えた。 中でも『亀戸梅屋舗』は、ゴッホが油絵で模写したことで知られている。
この絵は吉原を代表する7人の遊女を「青楼(吉原)の小町」として描いた7枚揃い物の内の1枚である。吉原の江戸町2丁目にあった若那屋お抱えの遊女白露が描かれている。
印象派の画家モネが収集した浮世絵版画は、総数292点の内49点が歌麿の作品だという。また、ゴーギャンが総額300フランの絵画と引き換えに、歌麿の版画を1点譲り受けたという記録も残っている。西洋の画家に見染められた歌麿美人と言えよう。
三十六景中の最高傑作で、俗に「赤富士」の名で呼ばれている。夏から秋にかけての早朝、富士がその身を赤々と陽に染める瞬間がある。その壮観が、藍・緑・褐色・黒という極めて抑制された線と色とで表現されている。
収蔵作品は作品保護のため通年展示されているわけではございません。