特別展「挾土秀平展~土のソムリエ~」平成28年3月24日(木)~8月30日(火)※好評につき延長いたしました

休館日
毎週水曜日(5/4、8/10は開館)

 天然の素材と土本来の色を使って独自の世界を築いた左官職人 挾土秀平。その活動領域は今や左官業の枠を超え、土や木、藁など自然に還るものだけを使ったアートの制作、土を原料にした化粧品の開発、講演や執筆など、国内はもとより海外にまで広がっています。また、2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の題字を、飛騨の赤土の土壁にコテを用いて手掛けています。題字のみならず、オープニング映像の背景の壁も同氏のものです。
 そんな挾土氏は当館の建築工事に深く関わり「光ミュージアムの建築は、俺の若き日の“一か八かの大勝負”であり、青春だった」と語っています。本展はその光ミュージアムで、土のソムリエと呼ばれる挾土秀平の作品を展示致します。

出品作品

葉 根 冷波 暖波 渦 他 25点

NHK大河ドラマ「真田丸」オープニング映像 背景の壁について

◆信幸をイメージした「夜空」の壁。「最後まで生き延びる信幸は、死んだ信繁たちを思うとき、きっと夜空を見上げたはず。銀河の空に、鳥なのか光なのかが浮かぶ様をデザインしました」

◆信繁が真田丸を築いた大坂冬の陣より、「冬」をイメージした壁。つばきをあしらい、雪の中のせせらぎを思わせるシックなデザイン。ブルーのラインには、ラピスラズリを使用。

◆ドラマに登場する華やかな女性陣をイメージした壁。緑色の帯には、かつてNHKの番組に出演したとき、挾土が地中海のキプロス島で見つけた、この島にしかない天然土が使用されている。

挾土秀平 詩集

挾土秀平氏が自ら作成された詩も展示しております。

アート作品詩

土にはいろんな色がある。
そんな当たり前のことに気づいたのは30才の時だった。

近くの裏山に赤い土、
川べりに黄色い土を見つけた。
それらを試しに塗ってみたら
「きれいだね」と褒められてうれしくなった。

今から13年前、
山深い林の道で、青黒い土を見つけた。
私が見つけた一番美しい色である。

毎日、山や川を歩いて
掘り出した土を持ち帰った。
水をたっぷり入れて撹拌して
篩(ふるい)に通して、小石や木の葉や枝をよりわける。
そして陽の光で乾燥させる。
すり潰すと、きれいな土の粉ができあがる。

私は、泥で壁を厚く形づくっている
私が使う泥とは、水と土をまぜたところに
藁や砂、時には小石を加えたもの。

たっぷり厚く、数回塗ると
質感をもった壁
いろんな肌合いの壁ができあがる。
ペンキのように、厚さ1、2ミリで化粧するものではない。

泥で壁を作るとき、私がよく使うもの。

※土 ※水 ※3ミリの砂 ※1ミリ以下の砂
※5ミリの藁 ※1~3センチの藁 ※5センチ以上の藁
※水に溶かした和紙 ※麻の繊維 ※海藻を溶かした糊
※砂利 ※石灰 ※墨

さらに、表現のために使うもの。

※枯葉 ※草 ※貝 ※砂鉄 ※植物のツル
※糸 ※竹 ※縄 ※金箔・銀箔
※樹の皮 ※雲母

壁を塗るとは、
鏡のような水面を作ること。
静止した水のイメージを手先に伝えること。

泥がたっぷりと水分を含んでいる間に
素早く平らに塗りあげる。

心を鎮めて、息を潜めて、そして、塗る。
壁を舐めるような気持ちでなければできない。
それは、言わば
脳で触れ、耳で見るような手さばき。

そしてそのあと、私は祈りながら
待たなければならない。
塗られた壁から水が抜けるまでを。

どんなにうまく塗れたとしても
泥の配合が悪ければ、
乾いたときに
狙いとは、まったく違う肌合いが生まれてしまう。

もちろん時には
泥が乾くに従って、予想をはるかに超えた
奇跡のような壁が姿を現すこともある。

季節や天候によっても結果は左右される。
土壁の出来を決めるのは私であり、私ではない。
最後に答えを出すのは自然なのだ
だから私は、最後は、ただ祈るだけ。

プラスチック、ガラス、コンクリートなど
熱加工して作られたものは、
素材に戻ることはなく、
いずれゴミになる他はない。

私が作る壁はどれも、野山や、川や海から
あつめたもので作られている。
いくつもの素材が、
混ぜ合わされてひとつの姿になっている。
けれどそれらは、自然な形で手をつなぎ
絡み合っているだけだ。

だから、
壁を水に溶かして分類すれば
またひとつひとつに戻って
戻ったものを元の自然に返すことができる。

私の土壁は、
ぼんやりとして、
おぼろげだ。

ある時はほの暗く、ある時は爽やか。
壁から発する何か、
「柔らかなエネルギー」とでも言うべき何かは、
五感を超えて、人の心に染み込んでくる。

土壁に照明が当たると
光は、一度土に吸い込まれてから反射し
影も、一度吸い込まれてから現れる。

そんな土に包まれた空間は、
光も影も、空気も柔らかだ。

どんなに光と影を演出しても
化学合成したもの、機械的に圧縮した面は
光を鋭利に反射し、鋭利な影を落としている。

これまで、私の作品を前にこんな会話を
何度繰り返しただろうか。

「どんな顔料を使いましたか?」と聞かれて
「顔料ではなく、自然そのままの色ですよ・・・」と答える。

「固めて切って貼りつけたのですか?」
「いいえ、土と水を混ぜて、この場で塗り、乾いているのです」
  
「物が当たると傷つきますか?」
「焼いてもいないし、化学的に固めてもいないから傷つきます」

すると、
「もっと固く美しくできませんか?」と返ってくる。
こんな会話に、疲れてしまう。

彼らは、このやわらかさが優しさだと、
この弱さが美しさだと、わからないのだろうか?

デザイン
彫塑
絵画
工芸
・・・・・・
具象
抽象

私にはその違いも
私がどれに属するかもわからない。
ただ、作品が自然に近くありたいと思っている。

自分の手で形づくったものが
風に乾いたり、雨に洗われて
自然のなかで移りゆく。

すなわち、素材が自然に動き、
時とともに生まれ変わること。
それが私の目指すアート。
HANDS INSPIRED BY NATURE

砂浜の風紋、湖の水紋…
私は、それらを前に無力感を抱く。
水と風が生み出す無限の形。
私の手で、これらを作ろうと努力すればするほど
自然の形から、かけ離れてゆくからだ。

あるとき私は知った。
私の手が直接、完成形をつくるのではない。
まず私の手で形づくる。
そのあと自然現象が起こって噛み合ったとき、
作品が生まれるのだ。
私の手と作品の間には、自然現象が存在している。

世の中で、もっともやわらかいものが
世の中で、もっとも固いものを
思うがままに突き動かす。
それが水であり、空気である。

“壁は水の抜け殻”
私は土を扱っているけれど
ここにある表情はすべて、水の痕跡なのだ。
自然の痕跡は美しい。
移りゆく自然は、私たちの想像をはるかに超えている。

人と自然は日々、相入れないものになっている。
人間の気配の消えた自然と
人工の緑を配置した都市。

しかし私は、
人間と自然がわずかに重なるところを
模索し続けたい。

西洋でも東洋でもなく、
派手でも地味でもない
両方を内包した表現。

どちらにも傾かず、どちらも手放さない。
きっとその先に、未来がある。

私は森の広場に立って
いつも同じことをくりかえす。
小石を両手で握り
ふわぁっと宙に放り投げる。

何度も何度も。

そして私はかがみこみ、足元に落ちた小石たちを
しばらく眺めている。

そこに最高のバランスを見つけることができるから。

もともとある存在に名はなかった。
生まれる前から
ただ、そこにあったのだ。

13年前
山深い林の道で見つけた青黒い土。
この土を塗ると
深い海のように静かで黒く
夜空のように遠くて青い壁ができた。

無限に拡がる無名の土よ。

もともとある存在に名はなく
飾り気がなく、素朴である。

私は、雑多な砂利のひとつや
ひとくれの土に目をこらす。

ずっと見ていられるもの、
そこには安心がある。
ぼーっと見ていられるのは、無心になれるからだ。
巣の中で休む獣のように
繭のなかで眠るサナギのように。

包まれた繭の内側の
飽きることのない肌を求めて…

土の色合いは
どんなに華やかでも
少し濁っている。
その濁っているなかに無限の表情がある。

ずっと見ていられるとは、
やり過ぎてなく
やり足りなくない・・・そのあいだ。

そのあいだに長い時間が流れている。
心やすらぐ、深い自由がある。

腐食して黒ずんだ銀のふすま、
土の鉄分が赤黒く錆びた茶室。
これらは汚れたのではない。

土壁が乾いてから1ヶ月、1年、10年
ゆっくりと土の中に潜む鉄分が
浮き出てくる壁がある。

いく重にもかさなった時間の奥行き。

そこには、
生まれて、
枯れて、
溶けゆく…
精神の宇宙がある。

陽の光を集めて燃やせば、
たぶん金が生みだせ

月の光を集めて凍らせれば銀ができ、
枯葉をたたいて腐食させると銅になる。

そして、けむりと雨をまぜて鉄を生み出し、

強く吹く風を鋭い太刀で切ったなら、
水がこぼれる。

・・・これらが全て土に降る。

息を切らして笑い
草の上に寝転がって
目を細めて流れる雲を追っていた。

砂に頬を押しあてて
跳ねる靴音。
地表の起伏。

激しい雨の中、
胸を高鳴らせ駆け抜けた。

あのころ、何を感じていたのだろう。
・・・ふっと少し、匂いだけが蘇る。

明かりを消して見る、まばたきの白さ。
そのまばたきの中にも
あの頃の匂いが通りすぎているのに。

・・・夢のなかで、
はしゃいでいた自分から
感じたことを聞きだせたなら・・・

故郷の樹林に立ち、
血管のような枝越しに見る月夜は透明で、
流れる黒雲とまたたく星は、音無く冷たい。

都心の夜空は灰色低く。
直線で区切ったビル群が
空を大きなキャンバスに変え、
私はそこに何度でもイメージを描ける。

月だけが浮かぶ孤独な空、
ビルが連なる赤い点滅の空、
どちらの夜も私には美しい。

色について

色について思う。

仕事柄、「土」と向きあってきたからだろうか。肌で感じる持論のようなものがある。
三十代、まだ土をどう扱ったらいいのかわからず、
自分流の塗り壁を夢見て色土を探し、採取を繰り返していた孤独な時期があった。

飛騨の山々を歩いた。開発工事で鉄の重機が大地をえぐっている現場を訪ねたり、
ときには土地に伝わる古い伝説をたどって探したり。
ありきたりな色あいの土でも、一度目を閉じて新鮮な目で見つめ直すと、微妙な違いが見えてくる。めぐりあう土のどれもが、美しく見えた泥狩りの日々。

飛騨の蔵作りに適した、カマ土と呼ばれる【赤茶色の土】
岩と岩との隙間に、斜めに細く挟まれた【鉛色の粘土】
深山の谷沿いをしばらく歩くと、突如身の丈を超えて現れる【真っ赤な山肌】
厳寒の朝、霜立ちの下に鮮明にむき出した【黄土】
湧き水といっしょに流れ出る、鉄分の蓄積であろう【サビ色の土】
薄い黄土色の中にある、淡い緑を思わせる【浅黄土】
地層の中に一筋走っている、地球の堆積の歴史を教えてくれるような【白土】

ある日のこと。
人けのない林の細い下り坂の途中だった。深山の清流を背にしたクマザサの奥を進むと、
白骨化した獣の死体を脇にして、黒い顔をのぞかせていた粘土に手を伸ばした。ぐっとつかんで
陽にかざしてみると、指先から乾いてくる色あいが、まるで夜空のような青味を帯びている!

人生で神様を感じる瞬間が人それぞれにあるとしたら、
この瞬間が、自分の背骨をつかんだ運命的な場面だったと思う。

真冬の深夜、雪面の野原に立って見上げる夜空は、月あかりが白い大地に反射して、
濃紺がすこし薄まったような青さが広がって見える。
また、秋の夜には、月光をうけた樹林が静脈模様の影を落とすと、
黒青い地表は美しく恐ろしく思え、
やがて身体が浮きあがって、紺の透明な世界に吸い込まれてゆく。
そんな色の土なのだ。

それ以来、この土を、ひとり勝手に「夜空色の土」と名づけて。
まずは、塗り壁として平滑に塗りあげてみた。
すると、あの夜空のような奥行きと静けさの土壁ができあがったのである。

空には夜の果て……、宇宙の無限の紺。
海には、謎の深海に広がる紺。
そしていま、自分は陸の地中から、もうひとつの紺色と出会うことができた不思議。

【空】、【海】、【陸】の無限の色。命あるものを包み込んでいる紺。
大地という大きなキャンバスに点在する赤い木の実や、小さな野草の黄色い花びら、
葉緑の樹林、枯葉色、そうした様々な色あいは、
私たちをとり巻く圧倒的な紺の中に、散りばめられているにすぎないのだと思った。
「紺」という色に包まれて私たちは生きている。その陸の紺を、手に入れることができたのだ。

子どものころ買ってもらった
水彩絵の具にある十数種の色は、左から順に

赤色→だいだい色→黄色→黄緑色→緑色→水色→青色→
紫色→桃色→薄だいだい色→黄土色→茶色→こげ茶色→
黒色→灰色→白色 と並んでいる。

よく考えれば、あの赤や黄は、化学的に作られた色、教え込まれた色だった。

「土」の色を見て仕事をしていく中で、
色とは、自然に散らばる色あいを、自分の中に取り込んでゆくことだと感じるようになった。
もし自分が絵の具を作る側だとしたら、
色の並べ方の順番に対してこだわった『水彩絵の具』を作ってみたいと思っている。

まず、十六色を並べる箱の左右の端に、深い紺色を置く。
左端の深い紺の次に紫→赤と置き、そして順に、
だいだい色→薄だいだい色→黄土色→黄色と並べて、中心に「白」を置く。
右端も深い紺からはじめて、藍色→青色→こげ茶色→茶色→緑色→黄緑色と並べて、
中心に「黒」を置き、ちょうど真ん中に白色と黒色を並べる。

仮に、色は理論的に作られて与えられるものではなく、
日々の体験の中で感じ取るものだと考えてみると、現実の世界には、
本当の真黒や、本当の真白というものは、ないんじゃないかというように思えてくる。
たぶん、真黒と真白は、この世にはない色に違いない。
両端に紺を置くのは、
すべてが紺の中に散りばめられ包まれているという無限の広さを意味して、
中心にある黒は、紺がもっとも濃くなった色だと考えよう。
そして白は、紺がどんどんと薄くなり、最大に明るい紺だと考えたい。

数日前、日本列島には強い寒波が停滞して、
飛騨は二日に及んで残酷なほどの雪が降り続き、見渡す景色は白銀の雪に覆われた。
翌日は一転、晴天の陽の光が注ぎ、
景色は強い反射と影の風景に支配されて、その中に立つと……。

まぶしく反射する真っ白な雪にも、雪の凹凸に生まれている影の中にも、
白い青があり、影にも青がある、紺色の世界が見えるのだ。
そう、やはり、紺色が限りなく濃くなった色、それが黒。
そして紺色が、限りなく薄くなった色、それが白であり
黒と白の間にある永遠と続くグレーの影にも、光り輝く銀にも、紺の影が落ちている。

この夜空色の土と出会ったときから、自分はこの土を背景に
様々な土色を散りばめたいと思うようになったのかもしれない。

【地 ・ 水 ・ 火 ・ 風 ・ 空】
より自然を感じて喜んだり、畏れたり。
根や泥、ひとつの石ころへ、素材へ。

紺は、はじまりの色。
以来自分は、夜空色の無限の広がりの中に創造を膨らませて、
言葉と色と土を使い、自由な表現をはじめたのかもしれない。

「宮沢賢治に引き寄せられる」

宮沢賢治に引き寄せられる。

幾度も読み入ってしまう【春と修羅】
しかし何度読んでも理解できない【春と修羅】。
ただ、一行一行に賢治の見ていた風景の写真を見るような気がするのだ。
そして繋がらない風景写真を繋ごうとする空想から
たくさんの壁を生み出してきた。

終わることのない
春と修羅の一行と一行の行間の空想

そんな宮沢賢治を一枚の壁にした。

賢治の好きだった鉱物を使った壁
青はラピスラズリ、緑は孔雀石、白は雲母、黒は砂鉄。

砂鉄で【銀河鉄道の夜】を表し
雲母で【春と修羅】と【雨ニモマケズ】をモールス符号で表し
本の見開き形状で縁取った。

ZYPRESSEN 春のいちれつ

宮沢賢治の壁

「シャクン」

職人社秀平組、社訓。

一致結束
一喜一憂
一攫千金
一網打尽
言語道断
横断歩道

断崖絶壁
頑張リマセウ
   一歩進ンデ、二歩下ガル。

 

もう俺たちは、人を憎んだり、
        争ったりしなくていいんだ。

これから、どこまでゆけるか、
        どこで終りになるのか?

俺たちに何ができるか、
        冬を越す蜂のようになって進むんだ。

水を汲みとる方法も、火を起こすやり方も、

たとえば人が、この時期の種まきでは
        良い収穫は出来ないって、忠告を受けても、

話を笑って聞いて、そのまま笑って続けている・・・・

11月の、霜の降りた朝、
樹林の中は、ゆらゆら、ゆらゆら木の葉が落ちる。

掃いても、掃いても、
        ゆらゆら、ゆらゆら落ちてくる。

俺たちは、
目の前のことに、いつも夢中になっているけれど、
         でも、ほんとうの先は、遠い遠い、遠いその果て・・・・・・・・・・・・・・・・・。

実感のまなざし

世の中のスピードは、日を追うごとに加速して
追われ、追いかける毎日が否応なく過ぎてゆく

期日優先の建設現場では
ひとつでも多く、一歩でも前へ、
手を止めるな、休まず、次へ次へと急げ。
振り返ると
九州での職人修行時代からずっと
そんな精神を叩き込まれてきた。

最近は
濃密な仕事依頼に時を忘れて入り込んでゆく
特に新しい領域では緊張感から思考が止まることがない

そうした時間は、
充実しているように思う。

限られた時間で、
とても長い距離を走ったように思う。

そうして、ひとつ終わって、
その結果を眺めていると
結果だけがポツンと
自分から離れたところにあって
自分なのに、自分に遠い感覚がある。

感覚は残っている
けれどそれは点線のように途切れ途切れで
強い印象があっても実感が薄いのだ。

この妙な
終わった直後から記憶をさがすような感覚。

たぶんそれは
追いかけ追われた二重の身体になっていて
一重が先に走り一重が追いかけ重なって
二重一体となったときの記憶しか
思い出せないのだろう。

確かに自分がやったに違いないのに・・・
記憶は途切れた映像で残っていて、肌合いが遠い。

それをふっとさみしいと思う
そのあと、妙な怖さにさいなまれる。

数日前の朝だった
樹林にいると、サッと陽が差し込んできて
その光が、
昨日までと違う明るさを持った
新しいひかりであることを感じながら
その場を後にした。

しばらくして、
あれは冬から春に変わった瞬間だったのだと思うとき
あの輝きに立ち会っていながら
その場を見切って立ち去っていた自分。

本当の充実とは、
終わったそのあとも、取り出して実感出来なければ
その価値も半減してしまうように思う。

こう言うといやらしいかもしれないが
なにより
自分の命にもったいなかったと
しみじみ思うのだ。

息子と酌み交わす盃に揺れている酒。
山の雪解けは幹の根元の輪が広がって消えゆくこと。
田植え前の水田を打つ、無数の雨の波紋。
芽、蕾、種までをもって花があること。

ますます早まる流れの中で
確かな実感が安心を生み
心を許せる人との時間となる
ひとつひとつ生まれる現象の渦をとらえて
肌合いのあるまなざしを意識していたい。

たぶん実感のある肌合いを
いつでも自分に取り出せることが
神経のバランスを保ち
きっと自分を安心に導いてくれるのだろうと思う。

灰色の光

白から銀へ、白銀へ
銀は黒へ、銀黒へ。

バスの重いタイヤが
微かな光を巻き上げて氷点下を走り抜ける・・・
そんな灰色の風景を旅したことを思い出す。

銀黒から灰へ、灰青へ。
吹き抜けてゆく微かな光

乗り込んだバスの薄ら青い灰色の窓には
霞んだ稜線と針葉樹林が
寡黙な現象として流れていた。

薄ら青い灰色の窓を
生でも死でもないどこかへ
バスが吸い込まれていくかのように眺めていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



2日前の朝

粉雪に覆われた外は
厳しい真冬の世界に様変わりしていた。

きしみあう氷点下の粉雪に立ち合うとき
あの時と同じ匂いが蘇る。

光と風と雪は
溶け合うことなく絡み合い
あの時と同じ、乾いた音が聴こえてくる。

粉雪は
ガラスの粉のように
踏みしめた靴跡が、その場で崩れ霞んでゆく
春夏秋冬と違う、空白の領域を感じるとき

あの、どこまでも続いた
灰色の光の
氷点下のバスの余韻が
今も途切れず
自分に続いていることに気づかされる。

白から銀へ、白銀へ
銀は黒へ、銀黒へ、
銀黒から灰へ、灰青へ。

その光景は、
生でも死でもない季節のイメージを描かせて描けず
ただ薄ら青さに引きこまれて立ち尽くす。

その描けないイメージが年々深くなっているのは
巻き上げる灰色の光が命から離れたものに見えるのは

来る春を
心待ちにするようになっているからだろうか

春が来るごとに
切ないほど美しく感じるようになっているからだろうか。

大西洋の海

空港に着いてから直ぐ電車に乗りかえて、さらに3時間30分

フランス西部のブルターニュへ行ったのは、
             この仕事の素材をさがす為である。
数年前、
同じブルゴーニュ・キャップフレエルの
崖っぷちから見た大西洋の海。

いま、キブロンという町の岩場から再び、大西洋を前にしている。

キャップフレエルのあの時と同じ
真正面から吹き抜ける強い風。

波は風、
風は波。

暖かくもなく、冷たくもなく、ただひたすら波が打ち砕けている。

海は、エメラルドグリーンの乳白色に濁り
真っ白な波が、色濃く荒れては消えてゆく
なんだろう、確か前回も感じた感覚が蘇る

なんだろう、この時間が何処かへ行ってしまう感覚。

ひたすら水平に迫りくる、この海を前にすると、
なにか裁きを受けているような無言に陥ってしまうのだ

心のなかにある願いも、
叶えてきた成果も、
自分の輪郭以外の全部を、
打ち砕いて崩してしまうような

そして乳白色のグリーンが呑み込み
底知れぬ西果ての彼方に沈んでしまう。

しばらく海を眺めていた。

風が手や顔から、波が目から入って
心の奥を砕いたのだろうか?

自分でも開けない心の奥で
これでいいという、ふんぎりを感じたのだ。

さあ、戻ろうと5~6歩あるいて、

もう一度、海へ。

岩場に腐った昆布にかがみ込み
鳥がグレーの雲に飛びたって行くのを見届けると

確かに一番奥が少し軽くなっていた。

それは宣告を受けたのか、決めたのかわからないが

西果ての、不思議な魔力をもった海に
              救われた気がした。

HANDS INSPIRED BY NATURE

Soil comes in all sorts of colors.
This simple fact I noticed at the age of thirty.

 

I found red soil back in the hills, yellow soil down by the river.
When I tried to plaster them together
I was praised - "Hey, that's lovely" - which made me feel good.

 

Then thirteen years ago
I came across this blue-black soil,
the most beautiful soil I'd ever found.

Every day I’d walk among the hills, along the river
and carry home soil I’d dug up.
I’d pour lots of water into it, mix it all up
put it through a sieve
and sort out gravel and leaves and branches
then set it out to dry in the sun.
Grinding this up left me
with lots of clear soil powder.

What I do is mold walls thick, with mud.
The mud I use has straw and sand,
or sometimes gravel blended with water and soil.

 

Once I glaze it thick a few times
a wall appears, with texture
and all sorts of different moods.
Nothing at all like slapping on a coat of paint,
which is more like brushing on makeup one or two millimeters thick.

Every day I’d walk among the hills, along the river
and carry home soil I’d dug up.
I’d pour lots of water into it, mix it all up
put it through a sieve
and sort out gravel and leaves and branches
then set it out to dry in the sun.
Grinding this up left me
with lots of clear soil powder.

The things I usually use to make these walls of mud are
soil, water, three-millimeter sand, one-millimeter sand, five-millimeter straw,
one- to three-millimeter straw, straw larger than five millimeters,
Japanese paper dissolved in water, linen fibers, glue formed from melted seaweed,
gravel, coal and ink.

 

For expression I’ll add a bit of
dried leaves, grass, shell, iron sand, plant vines,
thread, bamboo, rope, gold leaf, silver leaf,
tree bark or mica.

Plastering a wall is like
setting out a mirror-like surface of water.

Passing on the image of still water through your hands,
you plaster in one sweep,
swift while the mud holds plenty of water.

 

You quiet your heart, hold your breath, then glaze.
It should feel like you’re licking the wall.
Handwork, you could say, that seems more like touching with the brain, or seeing with your own two ears.

After all this, I simply wait
and as I wait, I pray, until
the water passes out from the plastered wall.
However skillful your plastering is though,
if the mud composition isn’t right,
you’ll find once it dries a mood completely different from the one you sought.
Once in a while of course, as the mud dries, a wall appears like a miracle,
exceeding anything you’d ever expected.
Results hinge also on the season and climate.
What determines the success of a wall is within me, and at the same time without me.
Nature has the final say,
so all I can do, in the end, is pray.

Things made from heated
plastic, glass or concrete
never revert to their original materials,
but always end up as trash.

 

The walls I make are formed from things
gathered in the hills and rivers and ocean.
A few raw materials get blended into one shape.
But in fact they’re only holding hands in a natural way,
bound up with each other.
Which means -
that if someone dissolved the wall into water
and sorted it out by parts,
each of those parts would return as one,
and then, one by one, return themselves to nature.

My earthen walls
are rather vague,
a bit hazy perhaps.

 

Sometimes they look dim, dark; other times fresh and clear.
What’s released from a wall,
you might call it a “gentle sort of energy,”
this reaches beyond the five senses, to seep into your heart.

When a light shines on an earthen wall
the rays get absorbed once, before becoming reflected,
and likewise shadows get absorbed before emerging.

 

The light, shadows and air in a space
wrapped in earth like this are gentle.

 

However you try to stage light and shadow
on surfaces made from synthetic materials and pressed,
the light will reflect sharply, and shadows falling will have sharp edges.

How many times have I heard this kind of talk
standing in front of my own work?
“What sort of pigments do you use?” They’ll ask, so I respond
“No pigments. The colors are straight out of nature.”
“Did you cut this out and paste it together after drying?”
“No, I just mixed soil and water, and plastered it right here so it could dry.”

 

“Do they get damaged when something bumps into them?”
“They’re neither baked nor chemically hardened, so yes, damage occurs.”
Whenever I say this, I get in return:
“But can’t you make them a bit harder and more beautiful?”
Conversation like this really wears you down.
Don’t they know a wall’s softness is what makes it so gentle,
and that weakness is precisely what causes its beautyl?

Design
The Plastic Arts
Painting
Arts and crafts
................

 

Figurative
Abstract
I don’t understand the difference between these words
or to which category I belong.
I just hope my work stays close to nature,
and that whatever I make with my own two hands
will dry in the wind, get washed in the rain
and morph along with nature.
In other words, for my materials to move naturally,
to get reborn in time.
That’s the kind of art I’m aiming for -
hands inspired by nature.

Patterns of wind on a sandy beach, ripples on a lake......
before these things I feel helpless.
Limitless shapes born from water and the wind.
The more I strive to form them from my own two hands,
the further they slip away from the shapes of nature.

 

Then suddenly it hit me.
It’s not my hands that are making the whole form.
First I form the wall from my hands.
Then as nature’s processes unfold and mesh,
the work is born.
Between my hands and the work, natural processes exist.

The softest things in the world
arouse at a whim the hardest things in the world.
Those would be water and air.

 

“A wall is like an empty shell.”
I handle soil,
but every expression within it just a trace of water.
Traces of nature are beautiful.
Nature, as it shifts along, goes way beyond our imagination.

Man and nature are forever moving in opposite directions.
We’ve got nature lacking any signs of humanity,
and cityscapes dotted with man-made green.

 

But what I want is to
keep exploring the tiny area where man and nature overlap.
An expression that’s maybe not occidental or oriental,
flashy or plain,
but rather holds all these things inside:
tumbling over into neither, not letting go of one for the other.
My hunch is the future lies beyond, in this direction.

Whenever I stand in a forest clearing,
I always do the same thing over and over.
I scoop up a bunch of stones with my hands,
and fling them up to the sky.

 

Over and over again.

 

Then I crouch down, to look at the stones that have fallen at my feet.
Sometimes I discover the best balance imaginable.

There was no name for anything existing at the start.
Before we were born,
everything simply was there.

 

Like that blue-black soil I found on a forest path deep in the hills
thirteen years ago.
When I plastered it on,
a wall black and quiet like the deep sea
or like a far-off night sky-blue appeared.

 

Soil - nameless, stretching on forever -
you had no name to begin with,
nothing decorative, so simple.
Me, I fix my eyes on one of the mixed-up pebbles, or maybe on a lump of soil.

The things I feel comfortable gazing at over time
are those things that give me a sense of well-being.
I go on gazing because I’m able to feel innocent.
Like a beast resting in its lair
or a chrysalis asleep in its cocoon
seeking out the inner lining - so alluring - of the cocoon it’s already wrapped into.
However shiny it may be,
the color of soil is always a little muddy.
Within the muddiness though, there lies
boundless expression.
Being able to spend time gazing at something
means that something is in-between: neither over-worked
nor not having been worked through enough.
Lots of time flows by.
There’s a deep freedom that soothes your heart.

A sliding screen covered in black eroded silver,
or a tea room with iron-rich, rusty red-black walls.
These are not dirty.

 

There are walls from which iron rises up slowly
from the soil as it dries over one month to one year,
into ten years.

 

The depth of time which has piled up again and again upon itself.

 

There we find the universe of the spirit,
which is born,
withers,
then melts away.

If you gather sun rays and burn them,
maybe you’ll get gold.

 

If you gather moon rays and freeze them you’ll get silver,
and if you pound dry leaves and let them rot you’ll come up with copper.

 

Then by mixing smoke with the rain, you get iron,

 

by cutting the blustery wind with a sharp sword,
water will overflow.

 

...... and all of these things, to fall upon the soil.

I was laughing, out of breath,
sprawled on the grass,
narrowing my eyes to chase the flowing clouds.

 

As I pressed my cheeks into the sand, the sound of hopping footsteps.
A rugged surface of ground.

 

Through a fierce rainstorm
I ran, chest thumping.

 

What was I feeling back then?
...... Suddenly - a bit of the smell revives.

 

That white flash you get as you turn off the lights.
Through that one blink too,
the smell of back-then passes by.

 

...... In a dream,
if only I could ask myself what it was I felt
as I was flying around.

Standing in that grove in my hometown,
the moonlit night clear beyond branches like arteries,
the flowing black clouds and blinking stars are cold, silent.

 

Tokyo skies at night are a low gray.
Rows of buildings chopped into blocks
transform the sky into a huge canvas
onto which I can draw, redraw my images.

 

A lonely sky, only the moon up there,
or a red-blinking sky lined with buildings.
To me, both skies are beautiful.

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